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東京高等裁判所 昭和50年(行ケ)92号 判決

原告

吉田一雄

原告

杉村敏和

右両名訴訟代理人

伊東真

被告

高等海難審判庁長官

伊藤幸一

右指定代理人

房村精一

外四名

主文

高等海難審判庁が昭和五〇年七月七日言い渡した別紙記載の裁決を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一  申立

(一)  原告両名

主文同旨の判決

(二)  被告

「原告両名の請求を棄却する。訴訟費用は原告両名の負担とする。」との判決

第二  当事者の主張事実

一、請求の原因

(一)1  原告吉田は、昭和四八年一月二九日当時機船はまなす丸の船長であり、原告杉村は当時同船の甲板手である。

2  海難審判庁理事官は、昭和四八年一月二九日北海道幌別郡登別南南東方沖合にて動力漁舟第三大勝丸が沈没した事故について、右事故の原因は機船はまなす丸との衝突によるものであるとして、原告吉田を受審人、原告杉村を指定海難関係人として、昭和四九年函館地方海難審判庁に対し審判の開始を申し立てた(同庁昭和四九年函審第一四号事件として係属)。函館地方海難審判庁は、審理のすえ、昭和五〇年一月三一日、「本件衝突は、第三大勝丸船長の運航上の不注意に因つて発生したが、はまなす丸甲板長の運航上の不注意及び指定海難関係人杉村敏和の運航に関する職務上の過失もその一因をなすものである。」との裁決(以下「一審裁決」という)を言い渡した。

3  原告両名(補佐人高畑政明、同青木康)は右一審裁決を不服とし、高等海難審判庁に対し第二審の請求をした(同庁昭和五〇年第二審第四号として係属)。

これに対し高等海難審判庁は、昭和五〇年七月七日、別紙記載のとおりの裁決(以下「本件裁決」という)を言い渡した。

(二)  本件裁決は、原告らに、第二審の請求権があるのに、これを否定したものであつて、判断に誤りがあるから、本件裁決は取消を免れない。

1 海難原因解明裁決に対し受審人たる原告吉田は、二審の請求権があると解すべきである。

(1) 海難審判の目的は、海難原因の究明にあつて、行政不服審査法や行政事件訴訟法が目的の一つとしている利害関係人の権利、利益の救済にあるわけではない。

海難審判法(以下単に「法」という)が、二審制をとつているのは、海難原因の究明を徹底させ、原因判断を慎重ならしめようとの配慮に基づいているから、一審の海難原因の判断に疑点があるにもかかわらず、二審がこの疑点に触れ得ないとするのは、海難原因究明の責務を放棄するものであつて、二審制を設けた趣旨に反する。

(2) 海難審判における第二審の請求は、行政上の不服申立の一種であるところ、この不服申立の利益はどのように認められるかの問題がある。

法律上の争訟性を要件とする行政事件訴訟と比較して、行政不服申立ての特色を考えてみると、「行政の適正な運営を確保すること」(行政不服審査法一条)という目的は、不服申立てについての法律上の利益についての有無の判断にあたつては優先的に重視されるべき基準であるとともに「国民の権利救済」(同法一条)という他方の目的も、狭く解釈すべきものではない。

そして、行政不服審査法を基本としない特別の行政不服申立てについての法律上の利益を判断する場合にも、右のような解釈態度は維持されるべきである。

(3) 法四条によれば、海難審判庁は海難原因解明裁決を行い、場合により懲戒裁決を行い、必要と認めるときには勧告裁決を行うことができることになつている。そして、これらの裁決は、まず、一審の裁決として現われる。法四六条によれば、理事官又は受審人は、一審の裁決に不服があるときは、第二審の請求をすることができるわけであるが、この請求について、受審人はどのような法律上の利益を有するかが問題である。受審人が、懲戒裁決に対しては利益があることについて異論がない。問題は、懲戒免除裁決および海難原因解明裁決について利益が存するかということであるが、懲戒免除裁決あるいは海難原因解明裁決だからといつて、受審人の第二審の請求の利益を否定することはできない。海難審判の目的は、海難の原因を明らかにし、もつてその発生の防止に寄与することにあつて(法一条)、行政不服審査法に基づく不服申立てのように「国民の権利利益の救済」にあるわけではない。

したがつて、二審の審判の機能も、この目的に従い、受審人の権利利益の救済を主眼とするものではなく、あくまでも海難の原因を明らかにするところにある。それゆえ審判の対象たる一審裁決も、特定人の具体的権利利益にかかることを必要としている、行政事件訴訟法にいう「行政庁の処分その他公権力の行使」(三条二項)にあてはまることを要せず、また行政不服審査法にいう「行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使にあたる行為」にあてはまることも要しない。その意味で、懲戒とかかわりあいのない海難原因解明裁決も第二審の審判の対象となる。

(4) 同様のことは、受審人の二審の請求の資格、利益についてもいえる。

すなわち、受審人としては、一審の裁決が、たとえ、直接に自己の権利利益にかかわりあいをもたないとしても、その裁決に示された海難原因の判断に不服があるときは、二審の請求ができると解すべきである。あたかも、理事官が、権利利益とかかわりあいなく、一審裁決に示された海難原因の判断に不服があるときは、二審の請求ができるのと同様である。けだし、海難審判でのテーマは、海難原因の究明にあるからである。

(5) ところで、受審人が一審の審判手続に参加できるのは、理事官が、海難が受審人となるべき者(海技従事者又は水先人)の故意又は過失によつて発生したものと認めて審判開始申立書に受審人として示したときである(法三四条)から受審人は、少なくとも、職務上の故意又は過失なしと一審において判断されたときは、二審の請求をする利益がないという反論がありうる。

しかし、その者が一審において受審人とされなかつた場合ならば格別、一たん受審人とされた以上は、法四六条によつて不服申立権(二審請求権)を取得するのであつて、その行使は同法の目的(一条)、に制約されるのにとどまるのである。

(6) 被告は、原因解明裁決(ならびに勧告裁決)は受審人(および指定海難関係人)の権利義務に何らの影響を及ぼさないから、二審請求権を認める必要がないといいつつ、一方、理事官に原因解明裁決(ならびに勧告裁決)に対する二審の請求権が認められてるのは公益の代表者としての地位に基くものであると主張する。

しかし、海難審判手続は対審構造を採つており、理事官と受審人(および指定海難関係人)とは当事者として対等の立場にあつて、対等の権能を有すべく、ひとり理事官のみに公益の代表者の名の下に原因解明裁決(勧告裁決)について二審請求権を認められるとするのは、理事官の無謬性を不当に強調する反面、受審人(および指定海難関係人)の合理的な不服申立ての機会を不当に奪い、当事者対等の原則にもとり、不合理な差別をおしつけ、法の下の平等の憲法理念に反する。したがつて、このような解決は、海難原因の究明を旨とする法の予定する解釈論であるとはいえない。

(7) 一審裁決(本件原因解明裁決)により、原告吉田は、権利・義務に重大な影響を受けるから、それが取り消されることについて法律上の利益がある。

イ はまなす丸船長たる原告吉田は、一審裁決により、はまなす丸と第三大勝丸とが衝突したと判断され、その確定により、法律上の不利益をうける。すなわち、船員法一三条(船舶が衝突した場合における処置)に基づく船長の申告義務が発生し、この義務違反について罰則がある(同法一一六条三号)。同原告は、はまなす丸と第三大勝丸とが衝突していないと確信し、右の申告をしていないが、一審裁決が確定すると、右の申告義務を負担しその履行を罰則をもつて間接強制される。

ロ また、本件においては、一審裁決は、船長たる原告吉田の監督下にあつた原告杉村につき運航に関する職務上の過失を判断したが、このことも、原告吉田に対して法律上の影響を与える。すなわち、海員監督に関する責任は、常に船長の双肩にかかり、船長は、平常、海員の職務執行に注意し、相当の監督を怠らなかつた場合でなければ、休養中生じた海員の過失による損害についても責任を負うから、一審裁決の確定により、原告吉田は、賠償責任を負うことになり、その取消を求めることに法律上の利益がある。

2 海難原因解明裁決に対し、指定海難関係人たる原告杉村(とくに本件においては、指定海難関係人には過失があつたとの判断がされている)は、第二審の請求権があると解すべきである。

(1) 海難審判の目的などは、1の(1)ないし(3)において主張したとおりである。

(2) 本件においては、原告杉村については、一審裁決において、職務上の過失があると認定されたからその確定は、同原告の法的地位に重大な影響を及ぼす。すなわち、同原告は、現在、本件に関する刑事事件の被疑者の地位にあり、やがて右裁決を根拠として起訴にもちこまれ、有罪判決を受ける蓋然性を否定できないからである。

したがつて、原告杉村に二審の請求の利益を否定することはできない。

(3) 被告は、指定海難関係人について二審請求権を認める明文上の規定がないことを理由として、原告杉村につき二審の請求を認めなかつた本件裁決は適法であると主張している。

「指定海難関係人」は、法自体には直接規定されず、海難審判法施行規則(運輸省令八号以下単に「規則」という)によりはじめて規定が設けられたのであるから、法四六条において二審を請求し得る者の一人として規定から洩れたのは当然であり、このことをもつて直ちに指定海難関係人に、二審請求権がないと解するのは誤りである。むしろ規則をみると、指定海難関係人は海難審判手続上すべて受審人と同一の地位を与えられている(規則三二条・三四条一項・三六条・三七条・三九条・四一条・四五条二項・四九条・五〇条・五六条)。規則は海難審判裁決手続を規定し、指定海難関係人に受審人と同一の地位を与えていることは、とりもなおさず指定海難関係人にも受審人と同様の違法手続の保障がなされていることを意味する。そうだとすれば、海難審判法令上指定海難関係人につき定めのない事項についてはつとめて受審人に関する規定を準用すべきである。指定海難関係人の二審請求にかかる事項についても、受審人について二審請求権を規定している法四六条一項を指定海難関係人に準用することは自然の解釈といえる。

(4) 被告は立法経過に照らし指定海難関係人に二審の請求権がないと主張する。

しかし、「指定海難関係人」の制度は、昭和二三年四月二日の規則によつてはじめて認められたものであり、法はこれより先昭和二二年一一月一九日に法律第一三五号として公布制定されていた。そして、法四条三項の「勧告を受ける者」(現在の指定海難関係人)の海難審判手続における地位権能をどうするかについてはすべて後日制定される規則に委ねられたのである。右「勧告を受ける者」は法の立法当初予定されていた証人・参考人の類とは全く異なり、規則では「指定海難関係人」として、受審人と全く同様の地位、権能を有する審判手続当事者となつた。

このような立法の背景に鑑みると、受審人と指定海難関係人の審判手続上の地位が同様とされた以上、両者を不服申立についても同等に取扱うことは法的正義に合致する。

法および規則上、指定海難関係人に二審請求権を認めた明文の規定は存在しないが、他方、その二審請求を禁止した規定(例えば、法六四条の二に類する規定)または右請求権の存在しないことを前提とした規定も存しない。

すでに述べたように、指定海難関係人は、審判手続上受審人と同様の地位にあり、しかも理事官と対等に扱わるべきで、海難原因解明裁決や勧告裁決によつて権利義務に影響を受ける地位にある。しかも二審請求を禁ずる規定がなく、また同人に二審請求権を与えることが却つて海難原因究明に資することにもなることを考えれば、法の立法目的に照らし、また憲法の精神に従つて、指定海難関係人にも二審請求権を肯定すべきである。(法四六条一項を指定海難関係人に準用するか、拡張解釈するかのいずれかによつて同人に二審請求権を認めるべきである)

(5) なお、規則六四条三項は指定海難関係人に二審請求権の存在することを前提とした規定である。すなわち同項は「二審の請求があつたときは、原地方海難審判庁は、速やかに請求人以外の受審人、指定海難関係人、及び理事官にこれを通知しなければならない。」とあり、「請求人以外の」という文言が「指定海難関係人」と「理事官」にもかかつている。(なお、理事官以外の者で二審の請求を行つたときは、理事官は「請求人以外の理事官」と呼称される―規則四条三項参照)このことを裏返していえば二審の請求人としての指定海難関係人の存在することを予定しているといえる。

(6) 以上の次第であるから、原因解明裁決における指定海難関係人にも受審人に準じて、一審裁決につき二審の請求権があるというべきである。

3 以上のように、受審人たる原告吉田・指定海難関係人たる原告杉村は、いずれも二審の請求権を有するのに、これを否定した本件裁決は違法であり、取消を免れない。

二、答弁および主張

(答弁)

請求原因事実中(一)の1ないし3は認める。(二)は争う。本件裁決には、原告ら主張のような違法はない。

(主張)

1 地方海難審判庁のした裁決に対する二審の請求権者については、法四六条一・二項の規定により、理事官、受審人および受審人のためにする補佐人が認められているだけで、指定海難関係人については、同法施行規則中にも、勧告を受けた場合に弁明書を差し出すことができる旨規定されている(規則七七条)にとどまり、二審の請求権はない。

2 理事官は、公益の代表者として、地方海難審判庁のした裁決に対し広く二審請求権を有するし、懲戒裁決において懲戒処分を受けた受審人も、その権利義務に変更を生ぜしめる法的拘束力を受けるから、二審請求権を有する。

しかし懲戒処分を受けない受審人は、法的不利益を受忍すべき立場にない点で指定海難関係人と差異はなく、指定海難関係人が二審請求権者から除外されていると同様に、また、審判の迅速性、経済性および法的安全性から考えれば、二審請求権はないものと解するのが相当である。

とくに、本件一審裁決では、受審人たる原告吉田の所為は、本件事故発生の原因とならないと判断されているのだから、原告吉田に、二審請求権のないことは明らかである。

3 原告らは、要するに指定海難関係人及び原因解明裁決における受審人に二審請求権を認めないのは、憲法並びにその下にある海難審判法の精神に背馳すると主張する。

理事官、受審人以外の者に二審請求を許すことは、あるいは望ましいかも知れないが、これは立法政策の問題であつて、現行法の解釈としては採ることができない。また、審判手続が対審構造を採つているのは、海難原因を探究するのにこれが最も適当であるからであつて、あくまでもそれは審理の方式にすぎず、それ故に理事官、受審人及び指定海難関係人がすべて対等の権能を有するものと解することはできない。すなわち、理事官のする審判開始の申立は、審判庁に対し事実確認(原因解明)を求めることを第一義的な目的とするものであり、受審人に対する懲戒や指定海難関係人に対し勧告を求めるのは第二義的なものであることは法に照らし明らかである。そして、受審人、指定海難関係人が、当事者的立場に立つのは、右の懲戒、勧告の当否についてであつて、もともと地方海難審判庁に対する事実確認(原因解明)請求は、誰れでもその請求ができるものではなく理事官の独占するところであるから、原因探究のための二審請求権も理事官のみがこれを有するものと解され、受審人に二審の請求権が認められるのは同人が不利益処分を受けたとき、即ち懲戒が加えられた場合にのみ許されると解するのが相当である。

また、右のように海難の原因を明らかにし、もつてその発生の防止に寄与するという法の目的を達成するために、審判庁に対し事実確認を求める権限を、公益の代表者である理事官にのみ認めたとしても、法の下の平等の憲法理念に反するものではない。

4 原告らは、本件立法経過の背景からしても、指定海難関係人が受審人と全く同様な地位権能を有する審判手続当事者と解釈するのが当然であるとしているが、たとい立法の過程においていろいろ論議されているとしても、そのような過程を経たうえで、法は結局、理事官、受審人以外の海難関係人に二審請求を認めなかつたものである。

5 なお、原告らは、規則六四条三項の文言から指定海難関係人に二審請求権の存在することを予定した規定であるとしているが、これは誤りである。即ち同項は、第二審の請求があつたときに、二審請求がなされたことを請求人以外の関係者に通知することを定めたに過ぎず、一方二審請求権者の範囲については法四六条により規定されているのであつて、右規則六四条三項の規定はこれを前提とした文言であることが明らかである。

理由

一請求原因(一)の1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

二そこでまず、原告吉田が一審裁決に対し二審請求権を有するかどうかについて検討を加える。

当裁判所は、受審人たる原告吉田は、一審裁決に対し二審の請求権があると判断するが、その理由は、次のとおりである。

1  海難審判は、海難の原因を明らかにし、もつてその発生の防止に寄与することを目的として行われ(法一条)、海難が、人の故意・過失によるかどうか(法三条一号)、船舶の乗組員に関連する事由によるか(同条二号)、船舶の構造等に関連する事由によるか(同条三号)、航海補助施設に関連する事由によるか(同条四号)、港湾・水路等に関連する事由によるか(同条五号)、その発生原因を多岐にわたつて探究すべきものとされており、その取調の結果、裁決により海難の原因を明らかにし(法四条一項)、その結果、海難が海技従事者・水先人の職務上の故意・過失によつて生じたと認めるときには(これらの者は、受審人として表示さるべきものとされている。法三四条参照)懲戒の裁決(法四条二項)をし、右以外の者で海難の原因に関係のある者に対し(これらの者は、指定海難関係人として指定さるべきものとされている。規則二七条参照)、勧告裁決をするものとされている。

2  そして、海難審判庁が、海難審判により海難の原因を調査探究し、その原因を解明すべきものとされているのは、単に関係した海技従事者水先人に対し懲戒をするのが第一目的ではなくて、解明した結果を類似の海難事故の発生を防止するため、立法上・行政上の諸施策に反映させるためであり、その意味では海難審判は、行政権がその内部において海難防止という行政目的の達成を期するという行政上の見地からの判断手続であるといえる。

このような海難審判の目的からみれば、海難原因の究明・明確化こそ、本来海難審判の最大の任務である。海難原因の究明・明確化があつて、はじめて、適正な懲戒裁決、さらに適切必要な勧告裁決をすることができるわけである。法四条が第一項において、まず「海難審判庁は、海難の原因について取調を行い裁決を以てその結論を明らかにしなければならない。」と規定しているゆえんである。

3  ところで、地方海難審判庁の裁決に対し、受審人は高等海難審判庁に二審請求をすることができるとされている(法四六条一項)が、受審人が懲戒を受けないいわゆる原因究明裁決または勧告裁決に対し、受審人は、二審を請求する利益があるであろうか。

受審人は、理事官がその受審人(海技従事者・水先人)の職務上の故意・過失によつて海難が発生したものと認め受審人と表示して裁判の申立をした場合(法三四条一項参照)に始めて、受審人の地位に立つのであり、したがつて受審人に職務上の故意・過失がないとされた裁決(原因究明裁決・勧告裁決)については、一応二審請求の利益がないのではないかとの疑念が生じる。

4  しかし、一審裁決において、受審人の主張どおりの事実が認定されて懲戒されなかつた場合は、受審人に二審請求の利益を認める必要はないが、そうでない場合には、懲戒されなかつたということだけで二審請求の利益を否定すべきではない。

受審人は、一度受審人として海難原因解明のための審判手続に関与すべきものとされた以上、単に自己の懲戒を免れることだけではなく、海難原因の究明についても、独自の利益を有するものと解すべきである。

刑罰権の存否の判断を目的とする刑事訴訟手続では、一審で無罪判決を受けた被告人は、その理由のいかんを問わず、上訴申立の利益はなく、また、一定の権利・義務関係(法律関係)の存否を目的とする民事訴訟手続では、本案判決で全面勝訴をした当事者は、その判決理由のいかんを問わず、上訴の申立の利益はないと解することができるけれども、海難審判は、審判手続で当事者対等の形式をとり、当事者―理事官のみならず、受審人(そして指定海難関係人も)に対しても海難について、自己の見地からの主張と、それに沿つた挙証活動をさせたうえ、海難原因の究明を図り、その結果、行政上の見地から各種の裁決をするのであり、単に法的責任の有無を明らかにするにとどまるものではなく、あくまでも類似の海難の再発防止という行政目的に資するため海難原因の究明を第一義とする行政権内部の判断作用であり、したがつて、一審裁決の判断が真実に合致しないとする受審人は、真の原因解明を求めて二審への独自の申立権を有すると解するのが相当であるからである。

もちろん、このような場合には、通常理事官においても、二審請求をすることが多いであろうが、さればといつて、このような場合の二審請求権を理事官のみに限定すべきいわれはない。海難原因の真相解明は、受審人としても、独自の利益を有するからである。

5  とくに、本件についてみれば、原告吉田は、一審裁決の確定により実際上重大な不利益を蒙るおそれがある。すなわち、〈証拠〉によると、原告吉田は、一審の審判手続において、はまなす丸と第三大勝丸との衝突を否認し、第三大勝丸は他船と衝突したものであると主張、立証していること、一審裁決は、原告吉田の右主張を採用せず、はまなす丸と第三大勝丸との衝突を肯認していることが認められる。

そして、船舶が衝突した場合には、船長は、右事故について申告義務を負担する(船員法一三条、なお一一六条三号)。また、船長は、海員の義務遂行に注意しなければならず、海員の過失による事故の損害についても、民法七一五条二項により賠償責任を負うべき場合がないとはいえないから、一審裁決がそのまま確定すると、原告杉村の運航に関する職務上の過失があることを理由として、原告吉田が損害賠償を請求されて、実際上著しい不利益を受けおそれがあることが認められる。

一審裁決の確定によつて、このように原告吉田に実際上の不利益がある以上、海難審判が行政権内部の一種の審判手続であることに徹すれば、一審裁決によつて直接法律上の権利義務関係に不利益をうけなくても、二審申立の利益が存するとみるのが相当である。

三次に、原告杉村が、一審裁決に対し二審請求権を有するかどうかについて、検討を加える。

当裁判所は、指定海難関係人たる原告杉村は、本件一審裁決に対し、二審の請求権があると判断するものであるが、その理由は、次のとおりである。

1  原告杉村は、一審裁決において、指定海難関係人とされ、同人の運航に関する職務上の過失も、本件海難の一因をなすものと裁決されている(この事実は争いがない)以上、同人が、これが取消を求めて二審請求をする事実上の利益があることはいうまでもない。

2  指定海難関係人については、理事官・受審人(その補佐人)が二審請求人として明示されている(法四六条一・二項参照)のに反し、二審請求権があるとの明文上の根拠がないから、指定海難関係人には二審の請求権がないのではないかとの疑念が生じる。

しかし、指定海難関係人については、法は審判手続との関係ではとくに規定をおかず(わずかに法四条三項で「海難審判庁は、必要と認めるときは、前項の者(受審人のこと)以外の者で海難の原因に関係のあるものに対し勧告をする旨の裁決をすることができる。」とし、法六三条で「勧告を受けた者は、その勧告を尊重し、努めてその趣旨に従い必要な措置を執らなければならない。」とするにとどまる。)規則によつてはめじて審判手続上の地位が与えられたものである。

そして、規則上、指定海難関係人は、審判手続の当事者としての地位を有し、本案の審理自体については受審人と同一の地位を与えられている(規則二七条、三二条、三四条一項、三六条、三七条、三九条、四一条、四五条二項、四九条、五〇条、五六条。なお六条。但し移送について一条参照)。もちろん、審判手続において、受審人および指定海難関係人を当事者として関与させるのは、海難原因を究明するうえにもつとも適当な方式だからであり、しかも、審理手続において当事者としての地位が認められている以上、受審人および指定海難関係人は、当事者として各種の主張および証拠方法の蒐集、提出について、実際上その責任を負担し―手続費用は公費であつても―、そのために各種の主張・挙証活動をするものである。そして、このような責任の負担が当事者として指定海難関係人に要求されている以上、その負担に対応して審決および裁決に対し不服申立の途を認めるのが当然の事理であり、これを否定するのは、負担・責任のみを当事者たる指定海難関係人に押しつけるものであり、妥当ではない。

このように考えてみると、指定海難関係人に対しても、受審人に準じて、二審請求権を認めるのが相当である。

3  海難審判手続は、海難の原因を明らかにして類似の海難の発生を予防するための行政権内部での行政的見地からの判断作用であり、その海難の真相に迫りえてはじめて適切な対策を講じうるところからみれば、真相究明に最大限に努むべく、不服申立を広く肯認するのが妥当というべきである。

なお、指定海難関係人は、裁決言渡の日から一箇月以内に理事官に弁明書を差し出すことができ、理事官は、裁決確定後弁明書を公示すべきものと定められている(規則七七条)が、このことがあるからといつて、指定海難関係人の二審請求権を否定しなければならないものではない。

四なお、念のため付言するに、最高裁判所の判例(最(大)判昭和三六年三月一五日民集一五巻三号四六七頁・同(一小)判昭和三六年四月二〇日民集一五巻四号八〇六頁等)の示すところによれば、原因解明の海難審判は行政処分に当らず、裁決取消の訴を提起することができない旨を説示し、そのなかには、右と異なるかのような説示部分がないでもないが、最高裁判所の判例の趣旨は、直接には裁決取消の訴を提起することができないとする判断であり、本件のような海難審判の二審請求権の存否に関するものではない。そして、たとい裁決取消の訴を提起することができない者であつても、行政権内部の判断作用である海難審判について二審請求を認めることは理論的には許されるものであり、この点の当裁判所の判断は、前記最高裁判所の判断と牴触するものではない。

五以上説述したとおり、原告吉田・同杉村の二審請求は適法であり、したがつて、高等海難審判庁は、二審として、実体上一審裁決の当否を審理裁決をすべきであつたのに、右請求をいずれも不適法として棄却した本件裁決は違法というべく、取消を免れない。

よつて、本件裁決を取り消すこととし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(瀬戸正二 奈良次郎 小川克介)

昭和五〇年第二審第四号

裁決

機船はまなす漁舟第三大勝丸衝突事件

受審人

吉田一雄

指定海難関係人

杉村敏和

右の事件について、昭和五〇年一月三一日函館地方海難審判庁の言渡した裁決を不当とし、補佐人高畑政明及び同青木康(いずれも吉田受審人及び杉村指定海難関係人選任)から第二審の請求があつたので、当海難審判庁は、海難審判庁理事官古矢柏衛出席のうえ審理し、次のとおり裁決する。

主文

本件第二審の請求を棄却する。

理由

海難審判法は、海難審判庁の審判によつて海難の原因を明らかにし、もつてその発生の防止に寄与することを目的とし、海難が受審人の故意又は過失に因つて発生したものであるときはこれを懲戒し、また、必要と認めるときは、海難の原因に関係がある指定海難関係人に対し勧告をすることとしており、海難審判庁が、海難審判法の規定に基づいてする本案裁決には、海難の原因を明らかにした裁決(原因解明裁決)、海難の原因を明らかにし懲戒する裁決(懲戒裁決)及び海難の原因を明らかにし勧告をする旨の裁決(勧告裁決)の三種がある。このうち受審人が懲戒処分を受けるのは懲戒裁決のみである。

また同法には、第四六条第一項及び第二項において、「理事官又は受審人は、地方海難審判庁の裁決に対して、命令の定めるところにより、高等海難審判庁に第二審の請求をすることができる。補佐人は、受審人のため独立して第二審の請求をすることができる。但し、受審人の明示した意思に反してこれをすることはできない。」と規定し、理事官、受審人及び受審人のためにする補佐人に第二審請求権を認めているが、指定海難関係人については、同法施行規則中にも、勧告を受けた場合に弁明書を差し出すことができる旨の規定があるにとどまり、第二審請求権を認めていない。

理事官は、公益の代表者として地方海難審判庁のなした前示のどの種類の裁決に対しても広く第二審請求権を有することは当然であり、また懲戒裁決において懲戒処分を受けた受審人は、その権利義務に変更を生ぜしめる法的拘束力を受けるのであるから第二審請求権を有するものであることはこれまた当然である。しかし懲戒処分を受けない受審人は、法的不利益を受忍すべき立場にない点において指定海難関係人となんらの差異が認められず、法は前示のように指定海難関係人を第二審請求権者から除外しており、審判の迅速性、経済性及び法的安定性などの要請があることを考慮すれば、第四六条において受審人に第二審請求権を認めた趣旨は、法的不利益の救済にあるのであつて、同条に規定する受審人には懲戒処分を受けない者は含まれないと解するのが相当である。

函館地方海難審判庁のなした機船はまなす漁舟第三大勝丸衝突事件の裁決は原因解明裁決であり、しかも「受審人吉田一雄の所為は、本件発生の原因とならない。」としているのであつて、これによつてなんらの不利益を受けない吉田受審人には第二審請求権はなく、また指定海難関係人杉村敏和にも第二審請求権がないのは明らかである。

吉田受審人及び杉村指定海難関係人に第二審請求権が認められない場合に、両人が選任した補佐人に第二審請求権が認められないのは補佐人の性格上当然であつて、高畑、青木両補佐人の第二審請求は、海難審判法の解釈を誤つてなされたものであるから、同法第四八条の規定を適用し、本件第二審の請求を棄却する。

よつて主文のとおり裁決する。

昭和五〇年七月七日

高等海難審判庁(玉屋文男 柳沢厚 松本金十郎 岡辺康荘 林至)

玉屋文男

柳沢厚

松本金十郎

岡辺康荘

林至

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